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光岳寺 沿革

 
   

 当山は、天機山 傳通院 光岳寺 と称し 浄土宗のお寺です。 (寺紋は三ッ葉葵)

 開基は徳川家康の異父弟 松平康元が天正18年(1590)初代関宿城主になられた時に、母君(於大の方-おだいのかた-、家康と康元の生母)の孝養と子孫繁栄等を祈り建立されました。正一位 於大の方(傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼)は慶長7年(1602)8月29日に逝去されています。

 
 
(現在の関宿城)

 開山上人は、関東十八檀林の一つである水海道 飯沼 弘経寺より導蓮社玄誉上人善慶天機大和尚を迎えています。

 当山は建立当初は弘経寺と称していましたが家康公の命により於大の方の戒名よりとって「光岳寺」と改めるようにいわれ、以後康元は「光岳寺」と改めて於大の方菩提所と定めました。於大の方の御遺骨は東京小石川の傳通院に葬られており、家康公により菩提寺と定められました。

 当山には於大の方のために建立した御守仏地蔵尊と御歯骨、御位牌等が康元により奉納されています。

 現在、御守仏地蔵尊は延命子育地蔵尊として信仰されています。

 当山には他に、家康公の御位牌・関宿藩士で勤王の志士である「杉山対軒」の顯彰碑と対軒直筆の額及び第7代関宿城主であった牧野信成が、父である康成のために建立した供養塔が残っています。

(門前設置 野田市教員委員会案内板より)

 

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